香港映画界で長年活躍を続ける実力派俳優のフランシス・ン、そして現代香港映画で圧倒的人気スターであるルイス・クーがW主演で父子を演じるという、香港映画ファンにとって楽しみな作品がこの度の東京国際映画祭にて上映された。出演キャストらと揃って来日したロイ・シートウ監督が、ご自身の経験や香港映画について語ってくれたので紹介しよう。
――監督は、子供の頃、どんな映画が好きでしたか?
とにかく香港映画が大好きでした。「男たちの挽歌」「友は風の彼方に」、この二つは大好きでしたね。ラブストーリーだと「誰かがあなたを愛してる」。「男たちの挽歌」は、友人と何度もみて、映画の登場人物の真似もしていました。いい映画は人にパワーを与えるよね。
――映画監督を目指そうと思ったきっかけは?
若い頃から舞台の仕事をしていて、戯劇の脚本制作なども携わり、学校の団体(部活)に所属して活動していたんです。あの時から、なぜかわからないけど、いろいろな大会などで賞を取り続けることができて、その経験があって、香港演劇学院を受験したんです。迷わず第一志望でね。「第二第三志望はないの?」と聞かれたことがあるけど、「ない」と答えていました。高校卒業してから大学に行かずに、戯劇を勉強したいから演劇学院の受験に臨んだんです。面接の時、面接官に将来何をしたいかと聞かれて、その時僕ははっきりと「監督(ディレクター)になりたい」と答えました。
あの時の香港は、舞台監督は収入が少なくて、生活するのも大変だったんですよ。生活するのは大変だけど、ひたすら創作(脚本、台本書き、構成を考えるなどのこと)を続けていました。ただ、僕は運良く、仕事を探さなくても、仕事のほうから来てくれていたんです。僕は幸運だったと思います。それから、徐克(ツイ・ハーク)監督が脚本家を探しているということで、友人の紹介で監督のプロダクション会社に入ったんです。脚本家としてね。その時からずっと脚本家として活動して、たまに助監督も務めていました。でもある時、「香港映画はこのままじゃダメになるんじゃないかな…」と思って、テレビ局で2年間手伝ったこともあります。
そして「雪狼湖(主演:ジャッキー・チュン)」のミュージカルの開催が決定して、舞台監督をやらないかというお話を頂いたんです。実際どのような経緯で選抜されたかは具体的にはわかりませんが、僕としてはもちろん喜んで引き受けさせてもらいました。この舞台がきっかけで、仕事もこれまで以上にもっと順調に展開できるようになり、舞台監督を任されるようになっていったんです。その後、舞台監督のほかに、映画脚本も書いたりしましたが、舞台監督の仕事は非常に時間をかかるので、それほど多くは書いていません。香港話劇(新劇)団に入って、最近は香港演劇学院の講師にもなりました。香港話劇団で、「シェッド・スキン・パパ」の舞台を監督して、また賞を取ることが出来ました。再演は3回もあり、とてもいい反響だったんです。それで今のプロデユーサーが映画化の話をしに来たんですよ。あらためて、本作の映画監督をやらないかという話になって、でも、その話を聞いた時ちょっと戸惑ったんです。本当にできるのかな、と。非常に慎重になりました。プロデユーサーに何度も怒られたほどです。「あんたはさ、こんなにいいチャンスが目の前にあるのに、なぜやらないんだ。なんで躊躇してるんだ!」とね。…なぜ躊躇したかというと、本当に自由に仕事ができるかどうか、気になっていたんです。投資側の意向で台本を変えられたりすることもあり得ますからね。条件やら、任務やら、あとから色々なもの押し付けられて、いいなりにはなりたくないですから。普通なら投資側がストーリーを探したり選んだりするけど、僕は、こちら側が投資側を選ぶ、くらいのスタンスでいたいのです。
――香港はとても魅力のある街ですが、監督が思う香港の魅力とは?
映画というのは、その時代を記録したものになるんです。本当に在ったものからつくられて行く――。僕が若い時は、香港は活気のある明るい街だと思っていました。小さいけど、何でも揃っています。しかし、時代変遷に従って、今の香港には特別なもの、代表的なものが減ってしまいました。どんどん退化しているんです。だから、映画を撮ったとき、時代背景を映画の中に入れようと思いました。昔の香港は本当に懐かしい。誰もが明るい将来が来ると信じて、前向きだったんです。誠実に、一生懸命に働けば、必ず成功できると信じられる時代でした。でも今はそんなことはできない。若者は毎日家でゲームをして、未来が見えてこないんです。あの前向きで奮発な精神がないといけないんだ。だから撮影の時もよく、みんなにこの作品は、香港のことを記録しているものなんだと話しました。フランシス・ン演じる父親の役は、今の香港人の代表人物なのです。時代変遷の記しです。80歳の彼は、今のぼーっとしてる年代。若い時は、活発で、向上心があって、純粋だった。なんでも挑戦できる年代だったのです。
――映画製作で監督がこだわっていること、気を付けている点などはありますか?
舞台だと、リハーサルで問題を解決することができます。でも映画だと、撮影に入ったら毎日ぶっつけ本番だから、「もうちょっと試してみよう」というのができない。全部事前に頭の中ではっきりクリアにした上で、現場に臨むことになります。だから撮影の時期は、地獄のようでした。毎日が本番で、しかも稼働時間も長い。毎日朝7時から深夜0時まで、4~5時間寝て、起きたらまた本番。だから、神経は一刻も緩めなかったです。死にそうでした。
今回一番楽しんだのは、脚本づくりですね。脚本も少しずつ成長するんです。ルイスとフランシスに、次のシーンについてどう思うかと聞くのを繰り返していました。彼らはチームメンバーなので、僕の考え方を彼らに知ってもらわなければならない。ディスカッションして彼らに僕の意向を伝えるんです。本番撮影の二、三日前から話し合って、いいアドバイスがあれば、脚本を変えていくという作業が楽しかったです。
――監督が次に挑戦しようと考えているテーマはありますか?
舞台作品の映画化を考えています。この映画を始め、世間の評判、興業効果はどうなるか…そんなには気になってないけど、自分が監督する映画作品のDVDを100枚コレクションすることができたら嬉しいですね。
――最後に、香港映画の中国との関わりや影響、今後の展望などについて伺えますか。
香港映画は、絶対に香港で香港のことを撮らなきゃならないと思っています。この5年~10年、香港の有名監督は(中国)本土と共同制作していますが、本土の作品を監督することには賛成しません。なぜなら、香港生まれ香港育ちの人は、本土のことに詳しくないはずですから。絶対に本土の監督のようにいい映画にできない。香港の監督は、本土の感情、情懐を熟知できないはずなんです。その差はどうしてもあると思います。我々は我々の成長してきた場所を撮ればいい。共同で成功した映画もあるけど、それは“アクション”映画であって、ストーリーや脚本、小出しの笑いネタなどは、本土は本土、香港は香港のそれぞれの監督でないとわからないものが、たくさんありますからね。
――ありがとうございました!これからも、ロイ・シートウ監督の香港作品に期待したいです!
「シェッド・スキン・パパ」フランシス・ン、ルイス・クー来日情報記事はこちらから
取材協力/翻訳:府川葵
写真:「シェッド・スキン・パパ」ロイ・シートウ監督 (c)2016 TIFF