西安Part1~古よりの歴史の街・西安~長安~

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今回の旅のスタート地点となるのは西安。日本史や古典が好きな人にとっては、古都「長安」の名でこの都市を学んだ人も多いのではないだろうか。前漢、北周、隋の時代の首都を経て、唐代の頃は世界最大級の都市となり、シルクロード(長安~天山回廊)の起点となった大都市だ。日本からは海南航空(ハイナンエアライン)直行便でおよそ5時間で到着する。機体はそれほど大きくはないが、ドリンクなどのサービスや機内食もしっかりあり、あっという間の5時間だ。

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こちらはビーフヌードル。写真ではわかりにくいが麺の上にあんかけの牛肉片炒めがのっていて、見た目の黒々さよりも味も濃すぎず、美味しい!

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そして成田空港からの約5時間のフライトを終えると、そこは、西安。国際線といっても、仕事の打ち合わせなどしたりしていたため、とても短く感じる。

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西安国際空港から西安市中心部までは約合45キロほど離れていて、空港から西安市まではリムジンバスを利用して1時間ほどの距離。

市内へ向かうバスの中、窓越しに絢爛な西安の建造物が目に入って来る。ちょうど到着時間が夜だったので、ライトアップされ、美しい姿が夜空にそびえている。

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■西安鐘鼓楼
昔はこの鐘鼓楼の鐘と太鼓で、人々に時を知らせていた。辺りは鐘鼓楼広場となって、観光客や多くの市民の憩いの場となっているようだ。夜20:00頃でも、たくさんの人で賑わっている。

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西安での初の夕食は広場の建物の中にあるこちらのお店で頂いた。いかにも観光客向け(しかもちょっとお高めな感じ?)だけれども、この重厚感、結構好きです(笑)。

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なんと14種類もの餃子が並び、初めての経験に大興奮。一生分の餃子を味わったのではなかろうか。いや、餃子は結構好きで食べているから、1年分くらいかな? とにかく、一度に14種の餃子を楽しめるというのは、いくら餃子好きといえども滅多にあることではない。そしてやはり中華料理を食べるには大人数で円卓を囲むのが一番、とあらためて実感。

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全種類文句なしに美味しかった。特に変わり種として、日本では味わったことがなかったのが、写真中央の茶色の皮のくるみ餃子。うっすら甘い、デザート感覚の餃子。一瞬チョコレートかと思ってドキドキしたけど、さすが中国、胡桃で良かった。上品な味わい。これは本当に美味しい。

そして、食後に西瓜が出た。「3月にスイカを食べられるとは…」。この時点でもはや日本とはちょっと違うところに来たのだね…と、一瞬感じ取る。

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これだけでも驚かされたのだが、この時の私はまだ、この先にフルーツ天国が待っていることを知らない…。

 

■POLICE 西安公安
いきなり食べ過ぎた。ここは中国、そして西安。「このツアーでは5キロ太るよ」ということらしい。食後は広場を散歩。とその時、小さなBOX型の建物を発見。

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とてもかわいらしくて交番だとは最初全く思わず近づくと「POLICE西安公安」の文字が。

 

■碑林
書道、漢字、漢文に精通されている方にとってはまさに1日いても足りないくらいの所だという。残念ながら、私は中学・高校と、漢文が科目として得意だった程度の興味である。だが、中に入れば、石板の多さに圧倒され、これだけのものを石に掘って残そうとした当時の人々の心が伝わって来た。

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ちょうど西安市の城内MAPも発見。

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なるほど。きっちりと城壁が。これは外国人にとっては本当にわかりやすいな。平安京が長安を模してつくられたというのも納得だ。

石碑に刻まれた字はどれも美しく、惚れ惚れとする。書き方の教科書そのものだ。

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さて全部読めるかな。って…。昔は得意科目だった漢文。あれには返り点が付いていたっけなあ…。

美しいのは石碑に刻まれた文字だけではない。碑林の敷地内はとても美しい。しとしとと小雨が降ったのもまた一興、緑が美しく見える。鳥が鳴き、木々や花々は可憐に佇む。晴れた日にもまた訪れてみたい。

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■青龍寺
582年に建立された仏教密教の寺院。日本の僧侶が中国の仏教から受けた影響は大きい。遣隋使、遣唐使として長安に渡り仏法を学んだ。弘法大師の名で知られ、真言宗の開祖である空海は、平安時代初期、まさにここで中国文学、書道、天文、医学を学んだといわれている。業績は抜群であったという。空海は804年に長安を訪れ、806年に日本へ帰国している。たった2年かよ!! とびっくりする。空海が帰国後、日本の後世に残した功績を考えると、この留学はよほど充実したものであったに違いない。寝る時間なんてなかったんじゃないか?と思う。1200年以上も前に、本当に、よくこの土地までたどり着き、無事帰って来たもんだなと、しみじみ思う。

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日本史の教科書でしか習わなかった空海という人物をあらためて知ることができた。青龍寺では四国八十八箇所の零番札所「第0番札所」の印がもらえる。

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そして、印を押してもらった紙の裏には、青龍寺の詳しい歴史が文書で記されており、最後にこう締めくくられている。
「中日国交回復以来、両国の友好交流は更に発展しつつある。中日両国の文化交流に優れた貢献をした空海大師と、その師の恵果大師を記念する為に中日両国共同で青龍寺遺跡に恵果空海記念堂、空海記念碑、青龍寺庭園を建立した。これをもって両大師の業績を表彰し、両国人民の先駆者の学び合い、共に進歩するという精神を継承し、世々代々友好していくことを激励するのである。」

■大雁塔

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652年に建てられてから、今もなお、そのまま立っているという、地震の多い日本では考えられない!西安のシンボル。三蔵法師がインドから経典を持ち帰り、ここに保存したという。中に入ってみたかったが、残念ながらもう夜遅かったので遠目での鑑賞のみとなった。

西安Part2~新開発の新しい街・西安へ続く

特集:ニューシルクロードの旅路へ

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