こんなに不穏なのに、スパゲティが食べたくなる
『時計じかけのオレンジ』は、気軽に「おいしそうな映画」と呼べる作品ではありません。
暴力的で、悪趣味で、冷たくて、なのに画面から目を離せない。スタンリー・キューブリック監督の映像は、公開から半世紀以上が過ぎても、いまだに異様な力を放っています。
白い衣装、原色のインテリア、奇妙なオブジェ、ベートーヴェン。そして、アレックスが食べる大皿のスパゲティ。
映画全体がとんでもなく不穏なのに、あのスパゲティだけは妙においしそうに見えるのです。 と、大学生のとき、私の友人は言っていました。
当初、「いや、今この場面で食欲を感じている場合じゃないだろう」と思っていましたが、いつのまにかその時の記憶とともに、口は完全にミートソースを求めています。
おそらくこれからはじめてこの映画を観る方が、本編を観終わるころには、冷蔵庫のひき肉とトマト缶の在庫を考えている。
キューブリック、恐るべしです。

安心できるはずの食卓が、一番怖い
物語の後半、傷ついたアレックスは「HOME」と呼ばれる家にたどり着きます。そこで風呂と食事を与えられ、大きな皿に盛られたスパゲティを食べます。
一見すれば、ようやく安全な場所に戻れたような場面です。
温かい食事があり、ワインがあり、屋根がある。しかし、その家の主人アレクサンダーは、かつてアレックスたちが襲った家の住人でした。相手はまだアレックスの正体を確信していない。アレックスも、出された酒に何か入っているのではないかと疑う。
脚本では、ここで勧められるのは1960年のサンテステフ、メドックの赤ワインです。濃い色の酒と張りつめた空気のため、ブランデーのような強い印象で記憶している人もいるかもしれません。
フォークを動かし、ワインの香りや色を褒めながら、相手の表情をうかがうアレックス。
食事は本来、人を安心させるものです。ところがこの場面では、食卓が逃げられない取調室のように見えてくる。おいしそうな料理と恐怖が同じ皿の上に置かれているからこそ、強烈に記憶へ残るのでしょう。
赤いソースは、食欲と暴力の境界にある
トマトソースの赤は、食欲を刺激する色です。洋食店のナポリタンやミートソースを見ると、条件反射のように「食べたい」と思ってしまいます。
けれど、『時計じかけのオレンジ』の世界では、赤は血や暴力の色にもつながります。
キューブリック作品では、食べ物もインテリアも、ただそこに置かれているわけではありません。整いすぎた構図、強い色彩、人間を物のように見せる配置。その中に日常的なスパゲティが現れることで、かえって日常そのものが信用できなくなります。
しかも、食べるという行為は無防備です。
口に物を運び、噛み、飲み込む。その間、人は攻撃も逃走もできません。アレックスが大皿のスパゲティを食べ続ける姿には、空腹を満たす安心感と、罠の中へ入っていく危うさが同居しています。
おいしそうなのに怖い。怖いのに食べたい。
この矛盾こそ、『時計じかけのオレンジ』らしい映画ごはんなのだと思います。
観賞用には、少し大人のミートソースを
この映画を観る夜は、昔ながらのミートソーススパゲティが合います。
玉ねぎ、にんじん、ひき肉をしっかり炒め、トマトを加えて煮込む。赤ワインを少量加えると、甘いだけではない深みが出ます。麺は上品に少量ではなく、映画にならって少し大きめの皿へ。
ただし、映画のアレックスのようにワインを一気に飲む必要はありません(笑)。作品そのものがかなり強いので、飲み物は少量の赤ワイン、ぶどうジュース、あるいは炭酸水くらいで十分です。
夜遅くに食べるなら、ひき肉を入れすぎず、きのこを細かく刻んで加えると軽く仕上がります。トマトの酸味が強い場合は、砂糖を増やすより、玉ねぎをゆっくり炒めて自然な甘みを引き出すのがおすすめです。
映画に合わせる料理は、完全に再現しなくてもよいのです。
赤いソースの大皿がテーブルにある。それだけで、いつもの夕食が少しだけキューブリックの画面に近づきます。

今日の結論
『時計じかけのオレンジ』のスパゲティは、ほっとする家庭料理ではありません。
むしろ、安心できるはずの食卓が突然恐怖へ反転する、その境界に置かれた料理です。
それでも観るたび、私はミートソーススパゲティが食べたくなる。
人間の食欲というものは、映画の倫理観とはまったく別の場所で動いているようです。
観ること、食べること。そして、少し居心地の悪い余韻まで味わうこと。
今夜は赤いスパゲティを用意して、キューブリックの強烈な世界に再び入ってみてはいかがでしょうか。